前橋空襲

前橋空襲 · 22日 4月 2023
前橋空襲記録
前橋市が戦後50周年の際に発刊した『永遠の平和を願って』という戦争体験者の記念文集をデジタル化している。私の担当は前橋空襲の体験者の部分。昭和20年8月5日の空襲時、降ってくる焼夷弾の雨の中を逃げまどい、家を焼かれ、家族を失い、自らも火傷を負ったり、黒焦げになった死体を目にしたり、とまさに地獄絵ともいうべき悲惨な体験が綴られている。空襲の記録はまず被害者であるという視点で書かれている。それは当然だが、当時の日本人は戦争の被害者であると同時に、特にアジア諸国の人々に対しては加害者でもあったはずだ。その点である種の精神的なすわりの悪さを感じる。Wordの校正をしながら気がついたことがある。悲惨な体験を記す中に、非人道的な無差別爆撃をしたアメリカ人への憎しみや恨み、批難といった言及が全くといっていいほど無いのだ。空襲があたかも地震や津波などの自然災害に遭ったかのようなのだ。こんなひどい目にあわせたアメリカに対する憎しみをなぜ持たないのだろう。これは日本人の思考の特性なのだろうか。だからアジアの人たちも日本に対する憎しみ、恨みも持たないに違いないと思ってしまいはしないだろうか。
前橋空襲 · 31日 7月 2018
前橋空襲のあった翌日の昭和20年8月6日、一人若い女性が誰にも告げずに前橋駅始発の汽車に乗り東京駅に向かいました。「前橋は空襲で焼けてしまいました。此の侭では日本は滅びてしまいます。天皇陛下に戦争を止めて頂くようお願いに参りました」と天皇に戦争を止めるよう直訴するためです。皇居前へ行き二重橋を渡り皇居へ入ろうとして拘束されました。女性の名前は奥野とめ子さん。普通であれば刑務所へ入れられるところですが、狂人として前橋警察署長の代理と母親に引き渡され前橋へ連れ戻されました。その後家に軟禁状態にされたとめ子さんは、3度の自殺を試みるなど精神的に不安定になり9年後38歳で亡くなりました。このことは世間には全く公表されなかったのですが、72年経った昨年、とめ子さんの姪の北爪さん夫妻が「これまで一身を犠牲にして戦争を止めようと昭和天皇に直訴し、狂人扱いされたとめ子さんのことを誰にも言わなかったが、自分たちも高齢化し、この事実が知られないまま葬り去られてしまう」と、とめ子さんのことを知ってもらい、慰霊をしてもらうことを願い前橋市に手紙が寄せられたことで明らかになったのです。天皇を直訴することなど思いもよらない時代に、場合によれば極刑にされかねない行動に出てまで戦争終結を願い出ようとした奥野とみ子さんのことを長く記憶し、慰霊をしたいと思います。8月5日の前橋空襲一斉慰霊でもこの話に触れる予定です。