平等山福祉寺

私は平等山福祉寺という寺を知らなかったのでネットで住所を調べ、ナビで行った。ところが目的地に着いても寺らしきものは見当たらない。周囲を何度か回り、ようやく見つけた。それは普通の民家であった。どうりで見つけられなかったはずだ。平等山福祉寺という名前、そして戒名は無料、無宗派というだけあってユニークな寺である。そこから車で10分ほどのところにある墓地にも行ってみた。これもナビを頼りに行った。墓はあちこちにあるのだが、目印の観音像が見当たらない。クルマを道路脇に駐車し、田んぼ道を歩いて探し、ようやく見つけた。もっと大きな観音像をイメージしていたが、意外に小さかった。そして風化で顔の半分が欠けてしまっている。この四角い台座のなかに多くの無縁仏が葬られていて、その中に死刑になった長谷川武の位牌もあるという。堀川恵子が長谷川のことを調べ始めて2年、ようやく墓を探しあてここを訪れたのは2010年ころ。それから10年以上が経っている。東京から来た堀川にとっては「のどかな田園風景」と見えただろうが、ほぼ地元の私とっては味気ない風景である。墓地は畑の一角にあって、区画もされていず、ただ墓石がならんでいるだけ。いささかわびしさが漂う。欧米諸国が死刑廃止をしているなか、日本は依然死刑制度をとっている。世論調査でも死刑存続派が多数であった結果だったような気がする。なぜ日本人は死刑を残すのだろうか。