ジャコ・パストリアス

ジャコは20代後半の6年間、ウェザー・リポートというジャズ/フュージョンバンドに在籍、エレクトリックベースの革命児としてセンセ-ションを巻き起こした。評論家や一般人の投票でもNO.1プレイヤーに選ばれた。高校生の頃から世界で最も偉大なベーシストになると豪語していたが、文字通りそれを証明してみせた。

しかし、富と名声を得ると、昔ながらの友人は彼のもとを去り、ジャコの名声に吸い寄せられた人が群がってくるようになる。次第に酒と薬にまみれるようになり、ジャコの音楽人生が変調をきたし始める。ウェザー・リポート時代の後半には、リハーサルをすっぽかしたり、ステージでアンプを大音量にしたりと、わがままな振る舞いをするようになる。

ウェザー・リポートを脱退後、ワード・オブ・マウスという自己のバンドを結成、世界ツアーも敢行する。日本公演のライブ録音が発売されている。しかし、メンバーは固定せず、演奏も良い時と悪い時の振幅が大きくなってゆく。

ステージでの傍若無人の振る舞いが重なるようになると、レコード会社やジャズクラブもジャコを相手にしなくなってしまう。私生活では離婚もあり、双極性障害で精神病院に入院したり、と人生の歯車がどんどん狂い始める。

そしてますます酒におぼれるようになり、音楽活動もできなくなってしまう。生活も乱れ、ついに路上で生活するようになってしまう。

何人かの友人が手を差し伸べて、時には演奏する機会が与えられても、アンプのボリュームを滅茶苦茶に操作したり、ベースを放り投げて壊してしまったり、自分でステージを台無しにしてしまう。救いの手を自分から振り払って、破滅の谷底に自ら降りて行くように。

けんか沙汰で何度も警察につかまり、前歯は折られてほとんどない状態に、風呂にも入らず髪の毛はべとべと、路上でウェザー・リポートの音楽をラジカセで流して物乞いをしたりと、ビル・ミルコウスキーが書いた評伝を読むと、最後の方は読むのがつらくなる。

1987年、希代のベーシストの人生はついに破滅してしまう。35歳という若さだった。

 

しかし、ウェザー・リポートやワード・オブ・マウスでの彼の演奏は輝きを失うことはない。